RE:三浦綾子さん

三浦綾子

あなた誰ですか?初対面のコメントで超長文。失礼だとは思いませんか?

上3分の1くらいだけ読みましたが、あなた何か勘違いしてるでしょう。

「泥棒と悪口を言うのとどっちが悪いか。」 私の教会の牧師は、「悪口のほうが罪が深い」と言われました。
大事にしていたものや高価なものを取られても、生活を根底から覆されるような被害でない限り、いつかは忘れます。 少しは傷ついたりするかもしれませんが、泥棒に入られたために自殺した話はあまり聞かない。
だけど、人に悪口を言われて死んだ老人の話や少年少女の話は時折聞きます。
「うちの婆さんたら、食いしんぼうで、あんな年をしてても三杯も食べるのよ」と陰で言った嫁の悪口に憤慨し、その後一切、食べ物を拒否して死んだ、という話があります。
それと、精神薄弱児の三割は妊婦が三か月以内に強烈なショックを受けた時に生まれる確率が高いと聞いたことがありますが、ある妻は小姑に夫の独身時代の素行を聞き、さらに現在、愛人のいることを知らされた。それは幸せいっぱいの兄嫁への嫉妬からそういうことを言ったのです。 この小姑の話にちょうど妊娠したばかりの妻は、大きなショックを受け、生まれたのは精神薄弱児だったそうです。
恐ろしい話です。私たちの何気なく言う悪口は、人を死に追いやり、生まれてくる子を精神薄弱児にする力がある。 泥棒のような単純な罰とは違うのです。
それなのに、私たちはいつも楽しげに人の悪口を言い、また聞いています。そしてああきょうは楽しかった、と帰っていく。人の悪口が楽しい。これが人間の悲しい性です。 もし自分が悪口を言われたら夜も眠れないくらい怒ったり、悔しがったり、泣いたりする。 自分の陰口を聞いた人を憎み、顔を合わせても口も利かなくなるのではないでしょうか。

自分がそれほど腹が立つことなら、他の人も同様に腹が立つはずです。そのはずなのに、それほど人を傷つけるうわさ話をいとも楽しげに語る。 私たちは自分を罪びとだと思ってない。 罪深いなどと考えたりしない。
「私は、人さまに指一本をさされることもしていません。」 私たちはたいていそう思っています。 それは私たちは常に二つの尺度を持っているからです。 「人のすることは大変悪い。 自分のすることはそう悪くない。」
自分の過失を咎める尺度と、自分以外の人の過失を咎める尺度とは全く違うのです。
一つの例を言いますとね、ある人の隣家の妻が生命保険のセールスマンと浮気をした。 彼女は「いやらしい盛りのついた猫みたい」と眉をひそめ、その隣家の夫に同情した。 何年か後に彼女もまた他の男と通じてしまった。だが彼女は言った。「私、生まれて初めて、素晴らしい恋愛をしたの。恋愛って美しいものね。」
私たちは、この人を笑う事はできません。私たちは自分の罪がわからないということでは、この人と全く同じだと思います。

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『RE:三浦綾子さん』へのコメント

  1. 名前:双極性障害の公務員 投稿日:2023/02/18(土) 22:14:04 ID:a10f8effd 返信

    三浦さんて方は何をいいたいのか?ですね。
    どこの牧師さんの言葉か?神父さんじゃないならプロテスタントか新興宗教?
    泥棒で今回の「ルフィ」や今も全国で都会も田舎も凄くある強盗も泥棒ですが・・・。
    わけがわからないですね。